YouTubeはコンテンツを過激化してでも見られなければ意味がないのか?
皆さんどうもYouTube。コンテンツの過激化は反対派の@xi10jun1です。
冒頭から身も蓋もないですが、YouTubeにしてもSNSにしても過激化すれば大体見られます。最近増えてる、胸を強調した服を着る女性配信者や、子供をダシに過激な思想を表現する人とか。
良し悪しはともかく、この業界の根本的な課題はここにあります。
見られなければ意味がない
ここで言う意味とは、金銭とか承認欲求のことを指します。
これはYouTubeに限らず、僕のこのブログも含め、『広告+無料』のメディアという業態全てがそうです。数字が取れなきゃ、生活も表現したいこともやりたいことも含め、すべてのコンテンツを維持できません。
それにこの『見られなければ意味がない』というプレッシャーは、非メディアの人からは想像もできないほど強いんですよ。
スポーツ選手を思い浮かべれば分かりますが、彼らも常に良い成績だけをたたき出すことはできません。ケガや体調、環境面や金銭的な理由も含め、ありとあらゆる事象にさらされて、それでも最良のパフォーマンスを出さなければ勝ち残れないのです。
それもたまたま出た良い成績ではなく、野球やサッカーなら得点や○○率のような様々な割合、マラソン選手ならタイム、ハンマー投げなら距離など常に良好な結果が出せることを目指します。
ところが、想像もできないような努力と練習を重ねて、それでも負けてしまったり成績が伸びなかったりすることがあるわけです。有名なスポーツ選手の不調を見聞きしたことがある人は多いでしょうし、それだけ常に勝ち続けるほどのパフォーマンスを維持し続けるのは至難の業なのです。
同じように、メディア運営というのも『見られた』『読まれた』という数字を求めます。いわゆる『マスコミが報じない~』というのはそれが理由で、見られない情報は数字にならないから報じないわけです。
そうやってメディア運営で収益を得ようと考えたとき、数字にならないものほど消極的になるものはありません。コンテンツは届いて初めて意味を持つのですから、誰も見なきゃ無いのと同じです。
じゃあ人が増えすぎて飽和状態になった昨今のYouTuber市場で活躍しようと思ったら、見られるコンテンツを作るしかありません。それも誰もあまり見たことがないような、それこそ過激な内容で注目を浴びようとするのは自然の流れです。
だからこそ胸を強調した服を着る女性配信者や、子供をダシに過激な思想を表現する人が出て来て、その最終形態が迷惑系YouTuberというわけですね。
まとめ:YouTubeはコンテンツを過激化しなくても数字が取れるようにすべき
メディアの1つとして大きくなったYouTube市場において、『過激化しなければ見られない状態』をどう抑制するかが課題だと思っています。
それもYouTube側、YouTuber、そして見る側全員です。
特にYouTube側は『そんな規約に触れるような過激なことしなくても見てくれる人がいるし、数字も収益も取れるよ』って施策をしなきゃなりません。プラットフォーム側だし、ルールを作れるんですから。
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