読まれる偽物は非拡散。読まれない本物は拡散。

みなさんどうもインターネット!毎日ブログ書く系男子の@xi10jun1です。

最近僕は、「読まれる偽物は非拡散。読まれない本物は拡散。」を念頭に置いています。

これができるだけで、インターネットはもう少し平和になりますよ。

読まれる偽物

偽物って批判されますよね。

明らかに間違ってるし、オカシイし、倫理的に問題だし。

でも、こんな故事成語がある。

~好事門を出でず悪事千里を行く~

「いい話はなかなか広がらないけど、悪い話はすぐに広がる」という意味なんだけど、偽物って千里(約4,000㎞)を走るんですよ。

だからキュレーションメディアとか炎上ブログとか、『偽物』が出てくるとみんな読むわけです。

明らかに間違ってるから。オカシイから。倫理的に問題があるから。

読まれない本物

その一方で、好事門を出でず、つまり『本物』って読まれないんです。

なんでかというと、人って『本物』はあって当たり前、日常、退屈なことって感じてるから、そんなことをわざわざ取り上げることをしたがらないんです。

例えば、スーパーで腐った魚が店頭に並んでたら「あそこのスーパーは品質管理に問題がある」って大騒ぎになる。けど、スーパーで新鮮な魚がズラリと並んでいても、「あそこのスーパーの魚は新鮮!企業努力が素晴らしい!」と話す人はいない。

歩きスマホは批判されるけど、立ち止まってスマホを見る歩行者をほめる人はいない。

そして。

パクリサイトを批判する人は多いけど、パクられた『本物』をシェアしないのはどうして?

僕が最も言いたかったのはこれです。

最近キュレーションメディアによる、記事や画像のパクリが問題視されていました。

パクリは悪い。それは確かにそうだし、非難に値することだと思う。僕のブログもパクられてたし。

でもどうして「『本物』をシェアしよう」って話に転換していかないの?どうして『本物』をシェアしないの?

どうして『偽物』だけ、「こいつは悪いやつだぞ!」と鬼の首を取ったようにシェアするのに、『本物』は置き去りなの?

それって『偽物』にある種加担してない?『本物』よりも『偽物』を拡散して終わってるじゃん。

『偽物』を糾弾するために拡散するのはいいけど、『本物』も一緒に拡散しないとダメでしょ?むしろ『本物』こそ積極的に拡散すべきなのに、『偽物』の糾弾にばかり神経使ってるじゃないか。

そんなの『偽物』と同罪だよ。

「こっちが『偽物』だから気をつけてね。」だけじゃなくて、「こっちが『本物』だよ、みんな!」もないと。

まとめ:もっと『本物』をシェアしなきゃダメ

『偽物』が読まれてしまうことの最大の損失は、『本物』が埋もれてしまい、「良質な情報の共有」ができなくなってしまうことです。

やる気失くしますよ。『本物』を作り上げるための本質的な思考や行動によって生み出されたコンテンツよりも、『偽物』ばっかり読まれてたら。仕事ができる人より、口先の上手い人が出世してたらおかしいでしょう?

そういうのを本当の意味で「つまらない」って言うの。

「読まれる偽物は非拡散。読まれない本物は拡散。」

もっと『本物』を拡散することを考えなきゃ。

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