問いたい。

どうも!これを書こうと思って1年待っていた@xi10jun1です。

あれから5年ということなんですが、いつもよりシンプルなタイトルにしました。

そういえば、あの時も金曜日だったな。

2011年3月11日14時46分東日本大震災発生

昨年の3月11日に書いた記事がこちらです。

被災者が教えよう!災害発生直後に大切な人を守れる5つの知恵

加筆修正を行っていますが、当時の僕がどんな状況だったかを書いています。

はじめは小さな揺れ。

「お、地震だ」

でも、いつもの地震と雰囲気が少し違う。地面の下から「ンゴゴゴゴゴ・・・」と、何か大きなエンジンが動いているかのような異様な地鳴り。

「大きいのかな?」

次第に揺れが大きくなってきて、直感だったのかわからないけど、「ヤバい」と思ってコタツに身を隠した瞬間。

ガダーン!

ッダーン!

ドダダダダ!

ドァーン!

グラグラじゃないんですよ。ドァーン!なんです。

震度6弱でした。

マンションの耐震構造のおかげで助かったのですが、その後も2~3分おきに震度3前後、10分~15分おきに震度5前後の地震が襲ってきて、夜は寝られませんでした。

あれから5年

2016311モニタリングポスト画像

こちらは福島駅西口に設置されているモニタリングポストです。今日撮ってきました。

あれから5年が経過したわけですが、さすがに福島駅前で「放射線がー」とか言ってマスクする人はいませんね。イマドキの女子高生や女子大生が顔を隠してるくらいかな。残念です。

ガソリンスタンドに行列はないし、スーパーで買い物制限がされていることもないし、自販機でコーヒー以外が売り切れていることもないですし、水道管が破裂しているところもないですし、バスは通ってるし、電車も動いているし、ラーメンは美味いし。

まだ除染の人はいるけどね。

問いたい。復興の邪魔になっているのは放射線じゃなくて人じゃないか?

ただ、変わらないものがある。

「フクシマ」だ。

福島を「フクシマ」たらしめるマスコミの報道姿勢、責任を取らない政府・東電の責任者、某評論家、某政治家、某ブロガー、某漫画家、某活動団体。

まとめて「フクシマ論者」としようか。

彼らにとって、福島はまだ「フクシマ」でしかなくて、むしろ「フクシマ」でなければ困るといったふうなんだよね。「フクシマ」の上に、自らの利益を積み上げようとしているのではないかという印象さえ受ける。

「どうして福島が、1滴も出ない鼻血のために、1リットルの涙を流さなければならないのか?」これをもう一度よく考えてほしい。

福島はお前たちの消費財ではないんだよ。

問いたい。原発事故は全ての国民に責任があるんじゃないのか?

原発事故に限って言わせてもらうと、これは全ての国民の責任なんだと僕は思っている。

唯一の被曝国と謳っておきながら、原発を使ってその豊かさを享受してきたんだもの。

例え、チェルノブイリやスリーマイルで事故が起きても、使ってきた。

日本なら東海村JOC臨界事故による放射線で死者まで出しても、それ以前に原子力船「むつ」をはじめとする細かい事故がいくつ起きても、使ってきた。

そして福島では直接の死者は出ていないけど、関連死として自殺者が出ている。「原発さえなければ」と遺言を残して自殺された酪農家がいたことはあまりにも有名だ。

それでも結局原発は動かされようとしている。

そして、原発は国策。

国策ということは国が推し進める政策、つまり僕らが選んだ政治家たちが推し進めてきたんだよ。

いわゆる任命責任って、何もヘマした大臣を選んだ首相にだけ使われる言葉じゃない。

選んで、使ってきた国民にもあるんじゃないのか?

究極の原発事故の責任者は、これまでの日本国民じゃないのか?

で、運悪く、その責任を被ってしまったのが福島だったんだよ。

唯一の被曝国?おかしいと思わないのか日本人?自分たちがこういう歴史を繰り返したことに対する、反省もなければ自責の念もないことが

復興だ絆だと言う前に、まずはそこからじゃないだろうか?

一体何人の人が死ねば気が済むのか?

原発事故の責任は、本当に国と東電だけと言い切れるのか?

問いたい。復興と風化はセットじゃないかな?

僕は、復興は風化とは反比例するんだと思っている。復興すればするほど、風化して然るべきなんじゃないのかな。

今、広島・長崎が原爆の落ちた地域として、「牡蠣が売れない」「カステラが売れない」と風評被害に遭っているだろうか?今、4大公害の被害地域が風評に苦しんでいるなんて、2016年になって聞いたことがあるだろうか?

今となっては、ないでしょ。

記録としては残っていても、復興し風化したからこそ、風評被害は無くなったとも言えないかな?

ただし、とてつもない時間がかかっている。

これから

でも、これからが心配だ。

実は2014年の11月に福島県内の除染で出た汚染土は、中間貯蔵開始後30年以内に県外最終処分することが、改正法によって定められています。

国は、前項の措置として、特に、中間貯蔵を行うために必要な施設を整備し、及びその安全を確保するとともに、当該施設の周辺の地域の住民その他の関係者の理解と協力を得るために必要な措置を講ずるほか、中間貯蔵開始後三十年以内に、福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずるものとする。

引用元:中間貯蔵・環境安全事業株式会社法

この法律が将来また改正され、結局福島で最終処分することになりはしないか?を僕は危惧している。中間貯蔵施設の最終処分場化。つまり、福島県内での最終処分に改正されないかが心配なのだ。

先ほど「原発事故は全ての国民に責任がある」と書いたが、この法律はその責を負うことを求めていると僕は思っている。難しい問題かもしれないが、これが原子力発電のリスクなのだということは、理解すべきではないだろうか。

最後に重ねて書くが、復興だ絆だと言う前に、まずは原発の利益を享受してきた自分たちに責任がなかったかを、この3/11にもう一度考えていただきたい。

スポンサーリンク

いつも「読んだらシェア」を心掛けてくださりありがとうございます!

※はてブを使うとコメントと同時に複数のSNSにシェアできて楽ですよ!

スポンサーリンク